小学校2年生の夏、親の転勤で転校をした。
綺麗だけど黒い服の似合う、魔女みたいな担任の先生に連れられて、教室に入る。
先生が頭をぽんぽんと軽く撫でたのを合図に、大きな声で挨拶をした。
転校生というのは、ちやほやされるものだ。
クラスや学年に関係なく、ありとあらゆる児童から声をかけられた。
その中でも、一番席が近かったKちゃんと仲が良かった。
Kちゃんは頭が良くて、絵が上手で、休み時間には机に鉛筆で落書きをしていたから、私はそれを眺めていた。
1,2ヶ月経った頃だっただろうか。Kちゃんが得意の絵で、学校からKちゃんの自宅までの地図を描いて渡してくれた。
習い事が無い日だから、良かったら家に遊びに来ないか、という招待だった。
家に帰って早々と宿題を済ませた。
地図を見る限り、とりあえず行った事がなさそうな場所で、何となく家からは遠そうだった。
久しぶりに自転車を引っ張り出す。
地図を頼りに、自転車を走らせたものの、
転校して数ヶ月の小学生にとっては、通学路以外の土地勘はたかが知れてる。
私が右往左往していた所に、自転車に乗ったクラスメイトのIさんが現れた。
「Kちゃん家? こっちだよー」
連れられた先に、立派なマンションが立っていた。
さて、マンションには着いたものの、見慣れぬ自動ドア(オートロック)が立ちはだかっている。
ここからどうすればKちゃんの家の前まで行けるのだろうか。
Iさんが後ろからテンキーと呼び出しボタンを押すと、インターホンの音がして、スピーカーからKちゃんの声が聞こえた。
「あ!今日放課後お家で遊べるって教えてくれたから地図見て来たよ!」
「ちょっと待ってね」
ここで30秒くらい待たされる。
「ごめんだめだった。」
「え?習い事だっけ?」
「ううん。お母さんが」
ここで、スピーカーの向こうから女性の高い怒鳴り声が聞こえかけて、インターホンが途切れる。
その時は全く状況が理解できなかったが、つまりはこういうことだ。
当時、私が転校した学校の学区の中に、いわゆる再開発をしていた場所が含まれていた。
ベットタウンと呼ばれるような場所で、分譲マンションが立ち並ぶ。
一方で、未開発の地区は、相変わらずの様相で、トタン小屋が立っていたり、大きなパチンコ屋さんがあったり、至る電柱にバイアグラの広告が貼られていた。
前途の通り、私の一家はあくまで転勤でやってきたので、会社の家賃補助が利く範囲の賃貸物件で暮らしていた。そうなると、未開発地区に住むこととなる。
再開発地区に住む大人は、後からやってきたのにもかかわらず、未開発の地区の人たちを忌み嫌い、果てにはそこに住む子どもと自分の家の子を遊ばせないという方針が一部の親の中であったらしい。
(ちょうどそれが小学校を境に北側、南側となっていたので、私の中で「南北問題」と呼ぶことにしている。)
そういった経緯で、”良い所”に住んでいるKちゃんは親御さんの判断により私と遊ぶことを許されなかったのだ。
大人になった今でも、そんなちっぽけな地区のちっぽけな違いで人を差別するなんて、それこそ田舎者の思想以外の何物でもないと思う。
辺鄙なベッドタウンに住んでいるなりの小さなプライドだったのだろう。
“南北問題”については、あろうことかそれを子どもも薄々と心得ていたらしく、お高く止まっている家の子どもと、そうでない子どもは自ずと遊ばなくなるという。
転校生の私は、それを知らずにちょっとだけ火傷を負ったのだった。
Iさんはこちらを見ていて、「まあ、そんなもんだよね」といった様子で、いかにもあっけらかんだった。
記憶が間違っていなければフーセンガムを噛んでいたような気がする。
早く宿題を済ませ威勢よく自転車で町へ繰り出たのにこのような結果では、子供ながらに格好がつかないので、私はそのままIさんと遊ぶことにした。
遊ぶ、というよりは、ひたすら速く漕ぐIさんの自転車になんとかして付いていくようなものだった。
気付いたらよく知らない街のスーパーまで来ていた。
Iさんが店に入ると、店の人の何人かがIさんに声をかける。
彼女が真っ先に向かったのが、試食コーナーだった。
顔見知りの店員の女性が、同じ曜日の同じ時間を担当しているらしく、おやつ代わりに試食を分けてくれるのだ。
いつもお小遣いももらわず、買い食いもしたことのない私は
その「秘密」な感覚と背徳感がたまらなくて2,3個も試食を頂いた気がする。
Iさんはその後、お菓子を一袋買って店を後にした。
この時既に16時くらいだったので、そのまま家のある方面に向かった。
道の途中、Iさんは自転車のカゴに入れたお菓子を食べながら運転したり、サドルに両足を立てて、まるで曲芸のように運転をするかと思えば、その状態でカゴに入れたお菓子を取り出しては食べたりと、
かつて自転車の運転が下手すぎて顔面と鼻の骨を折りかけた間抜者として不安になる。
たまらなくなって危ないから止めた方がいいと伝えると、
「大丈夫。死なねーから。」
と、笑うだけだった。
さて、Kちゃんの家に遊びに行くと言って家を出たのに、
Iさんと、隣町まで自転車を走らせ、しかも見知らぬスーパーの、知らない女性と話して、おやつ(試食)をもらったなんて、なんやかんやで厳しい家だったので親に報告ができるはずがなかった。
どのように答えたかは忘れてしまったけど、この、わくわくした気持ちを、誰かに言いたくても、言えなかったもどかしさだけは覚えている。
その後、教育熱心だった親があれこれと習い事を入れたので、
放課後といえば専ら習い事に行くようになり、友達と遊ぶのも、数ヶ月に一回くらいだった。
Iさんと遊んだのもあの日が最初で最後だった。
習い事に向かう道の途中に、Iさんをよく見かけた。
Iさんはいつも自転車に乗っていて、ナップサックを背負っている。
ナップサックの中には少額の入った小銭入れと、家の鍵が入っていた。
親御さんが共働きで、習い事も無いから、放課後はこのようにして自転車で町中を走り回っているらしい。
小学生の放課後といえば、別に何をしたって良かったのだ。
誰と遊んだって良いし、習い事なんてやりたくなければやらなくて良かった。
子どもに習い事をさせたり、遊ぶ友達を限らせるのは、目の届く範囲に子どもを置きたいという親心なのかもしれない。
羊と、羊飼いみたいな関係である。
それでうまくいけば良いのだけど、私にはそれが窮屈すぎて後々に問題を起こした。
鬱になったり、「習い事を止められなければご飯を食べない」とハンストをしたり、ハンストによる豪快な嘔吐を学校でやらかしたり、家を追い出されて寒空の下で凍えたり、ビンタを食らって鼻血を出したり、親心が裏目に出てしまった。
どうやら私は放牧されている方が身に合っていたらしい。
遅かれ早かれ、大人になれば自分で選択をして生きることになる。
習い事のように、大人になっても親が整えたテンプレートの中で過ごすなんてことは、よほど特殊ではない限りは有り得ないことだ。
子どものうちに自分で何をするか考えて行動して、失敗して、学ぶというプロセスのための自由な時間があっても良い気がしている。そしてそれが放課後なのかもしれない。
悪い人に声をかけられたら、体に悪い食べ物を食べていたら、悪い友達に入れ知恵をされていたら…
子どもから目を離しておくことによる不安は挙げたらきりがないだろう。
しかし、子どもから言わせてもらえば、「大丈夫。死なねーから。」なのだ。